第27回チター音楽祭
27. Zitherfest Japan
第27回チター音楽祭を開催いたします。皆さまの暖かなご支援に心から御礼申し上げます。今年は日本チター協会が設立されて28年を迎えました。年を重ねるごとに信頼の絆と活動の輪は、日本の隅々にまで広がっております。日本各地に支部が誕生し、それぞれの地域において、支部による活動が行われるようになりました。これからも、地道なチター普及活動に努め、社会に貢献できるよう、より力を注いでまいります。
地球上には人間だけでなく、植物や動物たちもいろいろな状況の下で生きています。傷ついた地球に、美しい音楽は安らぎと生きる力、優しさを与えます。チター音楽祭をはじめ、日本チター協会のすべての催しは、この思いをもって企画されております。本年のゲストにはバリトンの北村哲朗氏と、マンドリンの相良澄子さんをお迎えいたしました。お二方ともに代々、その道を極めた家系に誕生し、演奏のすばらしさは聴く人の心に夢と感動を与えます。
F.ミュールホルツ「秋の花」、S.シュナイダー「山小屋を越えて」、R.シューマン「トロイメライ」、C.ベルトゥッチ「ロマンツァ」、ロシア民謡「ステンカ ラージン」、「赤いサラファン」他、心に響く美しい名曲の数々を演奏いたします。
日時:2010年10月31日(日) 開場13:30 開演14:00
出演:バリトン 北村哲朗
マンドリン 相良澄子
チター 内藤敏子
会場:東京国立近代美術館講堂(東京・竹橋)
(地下鉄東西線竹橋駅から徒歩1分/東京駅徒歩15分)
主催:日本チター協会
料金:5,000円(全席自由)
チケット・問合せ:Tel. 03-3466-0477
出演者のプロフィール
北村哲朗(バリトン)
東京藝術大学声楽科、同大学院独唱科首席卒業。1989年ドレスデン国立音楽大学へ留学。卒業と同時にゲルリッツ歌劇場と専属契約、「カルメン」エスカミーリョ役でデビュー。1993年ドイツ国家演奏家資格最優秀取得。1999年国立マリボーロ歌劇場に於いて「椿姫」のジェルモン役、2002年若杉弘指揮歌劇「有馬皇子」、新国立劇場の歌劇「ナクソス島のアリアドネ」ハレルキン役で出演。2006年にイエルク・デームス氏作曲オペラ「痴人と死」のタイトルロールを歌い、クラウディオ役でウィーンデビュー、同CDをリリース。2003年よりロシアのピアニスト、エフゲニ・ザラフィアンツ氏とシューベルト歌曲「冬の旅」他をリリース。藤沼昭彦、中山悌一、L.ベルタニョリオ、K.ヴィドマー、H.ホッター、T.アダム各氏より薫陶を受ける。
東京室内歌劇場会員、二期会会員、都留文科大学非常勤講師。
相良澄子(マンドリン)
4歳にて初舞台。5歳より比留間きぬ子に師事。比留間マンドリン研究所の幼児科、児童科を経て、比留間マンドリンアンサンブルの正規メンバーとなる。中学生の頃より、同じく、比留間きぬ子門下である母親の杉原里子(杉原マンドリン研究所およびマンドリンアンサンブル主催)に師事。
杉原里子マンドリンアンサンブルには1964年の創立時より参加。1974〜80年、および1990年〜現在、首席奏者を務める。
日本各地、デンマーク、ドイツ、イタリア、スイス等の同アンサンブル演奏会や演奏旅行には首席奏者兼ソリストとして参加。その他にもオペラやオペレッタ、バレエ公演や各音楽大学のコンサート、教会のクリスマスコンサート等への出演がある。
アルバムには、ラファエレ・カラーチェ作曲の前奏曲5曲を収録した「Preludio」、ベートーヴェンの作品4曲とムニエルの作品5曲を収録した「BIZZARRIA」と、10人の作曲家による10曲の無伴奏曲の「ROMANZA」がある。
内藤敏子(チター)
17才の時に来日中のソ連のバイオリニスト E.ベスロードニー氏に認められ、モスクワへの留学を勧められる。その後スイスにて、チターとバイオリンの協演がきっかけとなり、チターの魅力にひきこまれる。スイス・チューリッヒ市在住十数年間に、バイオリンの演奏活動とともに世界的なチター界の実力者、J.コーザ女史のもとでチターを習得する。映画「第三の男」で有名なチター奏者アントン・カラス、さらに20世紀を代表するチター界の巨匠ルーディ・クナーブル氏からもレッスンを受ける。スイスにてチター演奏家ディプロム及び、チター教育者ディプロムを取得して帰国。
旧東ドイツの作曲家、E.ロメール氏から「ロマンス」の初演依頼を受け、チューリッヒ市のコンセルバトワール・ホールで演奏。新聞等の音楽批評で「内藤敏子氏の深みのある音色の美しさは世界最高のもの」と高い評価を受ける。ベルリン市で開催された国際チターフェスティバルにゲストとして出演し絶賛。新聞、専門誌等で話題となる。ドイツのミュンヘン、ローテンブルグ、アウグスブルグ、マンハイムほか、国際チターセミナーや学会等での演奏と講演他、国内外で幅広い活動を行っている。
帰国後は、日本フィルハーモニー交饗楽団、東京交響楽団をはじめとするオーケストラとの協演も数多く、1993年から2003年にサントリー大ホールで開催された「チター音楽祭」では、スポンサーや援助団体ももたずに2000という座席が毎年満席となる。「題名のない音楽会」、「名曲アルバム」、「NHKーFM 芸術祭参加番組」、「NHKおはよう日本」他、テレビやラジオの出演。バイエルン放送協会をはじめ、外国でのテレビ・ラジオ番組の出演も数多い。特に2007年12月に放送のNHKラジオ深夜便ナイトエッセイ「私とチター」では、4日連続出演し、全国からの反響は大きく半年後の5月にはアンコール放送された。2008年3月に大阪フェスティバルホールで開催された公演では2700席が満席となり、当日券を求める人の列は長蛇となった。同年11月、伊勢神宮第10回「まがたま祭」で2008年度の奉納演奏者及び代表参拝者に選ばれ、史上初のチターによる奉納が行われた。詩人たちは「オルフェイスの音色」と語り、福井県詩人懇話会会報にも執筆されている。
人生の中で大きな事故や病気を経験し、死線をさまようこともあった。又、多くの苦労を伴う経験のなかで得た、独自の考えを持つようになる。芸術や文化は思いやりのあるやさしさと厳しさの上に成り立ち、人間にとっての生きる核であり、エネルギーのもとであるという信念をもって観客一人ひとりに語りかける。音が人間に与える影響を大切に考え、チターの美しい音色で患者さんと共に生きていることの尊さを分かち合い、病院内での演奏活動にも力を注いでいる。日本各地で公演を聴いた人々との信頼の輪は、静かに広がっている。
また、著書「第三の男・誕生秘話」は、5年の歳月をかけて、この映画の史実を調査した。アントン・カラスの遺族から寄贈された、約200点の貴重な写真と資料も掲載し出版。初版は3ヶ月で完売となった。国会図書館、国立フィルムセンター、川喜多映画財団などの保存書にもなっている。ソロコンサート、アンサンブルとの演奏、コマーシャルやCD制作等、幅広い分野での活動と、日本随一のチター専門教育の責任者として、チター演奏家、チターの教育者育成にも力を注いでいる。